- 2008年12月 4日 11:52
"ゼロサム"という言葉がある。
はじめからパイが決められているゲームに参加する場合、勝者と敗者は一定の資産の奪い合いをするわけだから、場にある資産の総和は(つまり価値と負けの和は)常にゼロになるという話。これは、物理のエネルギー不変の法則なんかと関連して、世界の出来事を単純に理解するうえでとても直感的で、便利だったりする概念だ。
なので、今回のような大規模なリセッションがあると決まって、「損をしている人間がこれほどいるのだから、その裏で得をしている人間がいるはずだ」という話が出てくる。ところが、たとえば株式などの相場型の商品の場合、昨日と今日ではその総額に差が生まれる。昨日と今日ではパイの大きさが変わるのだ。株式の時価総額が世界で何百兆円も一瞬にして失われた、なんて話がそれ。これはその瞬間に誰かが得をしたわけではなくて、ゲーム参加者全員が、トータルすると損をしているという話になる。
どうしてこんなことがおこるのだろう。
私たちは、時間のある社会で生きている。
ゼロサムゲームではゲーム期間中の総資産が固定されるが、金融商品は先物だとか金利だとかで今よりも先のものの価値が取引されている。今より先のことは正確には誰にもわからないのだから、ここに誤差が生まれる。つまり、景気のいいときは将来の不況を先食いしている、と言えるのかもしれない。
日本が失われた十年と呼ばれていたころ、アメリカに行くたびの感じたあのそわそわした感覚、"この国は何でこんなに景気がいいんだろう"。
さして強い産業も無く、日本人以上に働いている風でもなく、でもショッピングモールにはモノと人があふれている、その回転の方向が変わったとたんに、あの時何が起きていたかに気がつく。
怖いのはその瞬間には自分たちがどこにいるのかわからないことだ。
時間の先食いをしているのであれば、今回の巻き戻しはどこまで時間をさかのぼればいいのかということが重要になる。もちろんそれも人々の気持ちしだいだから、完全な均衡点で折り返すとは限らない。世界は不確実であり、その瞬間瞬間にはきれいな対称形を描いてくれないのだ。
では、どうすればいいのか?
もしかするとそれは、自分の資産が増えるという前提を捨ててしまうことかもしれない。今日より明日、全ての人が豊かになる、という概念に、どこまでの根拠があるのだろう。もちろん、私たちはそのために努力をしているわけなんだけど、そもそも資産と幸せはイコールではないはずだ。
この記事で結論を出すには大きなテーマでこの辺にしておくが、私たちの世界の幸せの総和は、時を経て変化するものなのだろうか・・・ ?
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