Home > 桜去りし後 :: after you've gone

桜去りし後 :: after you've gone

  • Posted by: jinx
  • 2004年4月29日 22:38

瀬田庭園1

新緑の眩しい季節です。

桜の花の後の一瞬の寂しさを、日差しの煌めきと若葉の輝きが忘れさせてくれます。

写真は、世田谷区立瀬田4丁目広場の紅葉の新緑です。

瀬田庭園2

広場、などと呼ぶと、単なる街角の公園の様に聞こえますが、この"広場"には、ご覧のように立派な門があります。

実はこの公園は、衆議院議員などを歴任した小坂順造氏の邸宅と屋敷林を譲り受けた世田谷区が、それを保存し公開しているものなのです。写真の門構えは、旧小坂邸の屋敷門をそのまま利用しています。

この旧小坂家屋敷のある多摩川沿いの"国分寺崖線"は、多摩川が関東ローム層を削り取って出来た河岸段丘のひとつで、国立市、国分寺市境から世田谷区、大田区付近まで続く、連続した崖です。

関東平野に降った雨は富士山の火山灰が堆積した関東ローム層に浸透して、この崖線から湧水となって流れ出てきます。
玉川上水が掘削される以前は、国分寺崖線の湧水とそれを集めて流れる野川は、武蔵野の重要な水の動脈でした。
集落や田畑は、この南斜面の日当たりのいい国分寺崖線に沿って発展してきたのではないかと思います。

崖線はかつては武蔵野の大動脈であり、律令制下のクニの中心に建てられた国分寺が、野川の水源の一つの湧水地にあるのも偶然ではないでしょう。

やがて江戸に政治の中心都市が造られ、街道が江戸と地方を結ぶように整備し直され、崖線上の台地に玉川上水が引かれて大規模な新田が開拓されるようになり、文明開化とともにそれまでの土地の繋がりとは無関係にまっすぐの省線が引かれて富国強兵の世の中になるにつれて、この水に恵まれた森は地域の中心から少しずつ外れていきます。

寛永寺に献上した深大寺(深大寺もまたこの崖線の湧水地にあります)の蕎麦が美味であったという逸話も、江戸の趣味人のスノビズムから出た皮肉なのかもしれません。
「え? あんな田舎に、そんな旨いものがあるの?」

やがて国分寺崖線は、近代化にはあまり利用価値の無い東京郊外の崖地として、浮き世とはほどよい距離感を保ちながら、21世紀の私たちに豊かな森と水を残してくれました。
成城、岡本、瀬田、等々力、尾山台、田園調布といった住宅地が、この南斜面の森に沿って発展してきたのも、偶然ではないでしょう。

そこに残された豊かな自然、都心との距離感、陽光の明るさが、東京に住む我々に独特の非日常性を意識させるのです。
殿ヶ谷戸庭園や静嘉堂文庫、五島美術館といった崖線上に点在する近代の別邸は、その地勢や緑、水、空気を楽しむため、贅沢な試みなのかもしれません。

瀬田庭園3

この瀬田4丁目広場には、ご覧の屋敷林ほかに、旧小坂家邸宅も保存され、公開されています。
このGWは、新緑浴を兼ねてハイソな気分に浸るチャンスかもしれません。

桜去りし後 :: after you've gone

Comments and Trackbacks

Home > 桜去りし後 :: after you've gone

Links
Search
Feeds

Return to page top